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2011年04月12日

257日目−闘病生活の果てに

9時19分、母は父の待つ天国へ旅立ちました。

旅立ちのとき、ベッドの横には、オレと弟がいました。

オレは母の手を握り「ありがとう、ありがとう」と繰り返していました。

眠るような静かな最期でした。



肺癌がわかってから、いくつもの岐路があり、母と二人で選択してきました。

ただ、今思うと母は私の考えに同意してくれていただけかもしれません。


肺癌の治療をしなかったら、本当に年末までの命だったのか?

もしそうだったとしても、もっと元気があって中身の濃い半年だったのではないか?


やはりイレッサは止めておくべきじゃなかったのか?

そうしたら今でも母は生きていたのではないか?


化学療法よりも、まずは放射線で原発の肺癌を焼いたほうが良かったのではないか?


別の抗癌剤を使えばよかったのではないか?


本当にたくさんの選択をして、その結果が、今日の母の旅立ちです。

「たら、れば」は禁物ですが、つい考えてしまいます。


オレは母にとって良い選択をしてきたのだろうか?

もっと良い道があったのではないか?


父は脳梗塞で17年前に他界していますが、その最期の選択をしたのは母とオレでした。

しかし、オレは今まで、その最期の選択の重みを感じることはありませんでした。

きっと、オレの分も母が重みを受けてくれていたのだと、今わかりました。

今度は、オレが選択の重みを受ける番です。

これは長男として、そして最期を看取ったものとしての役目だと思っています。



今まで、このブログを読んで下さった方々、ありがとうございました。

また、コメントくださった方、ありがとうございました。

このブログをどうしようかとも思いましたが、

これから肺癌を患ってしまい、ネットで情報を探している人に少しでも役立つならと

このまま残すこととしました。


このブログは、私と母の闘病日記です。

私にとってもかけがいの無い日記となりました。

もうコメントに対する返事は出来ないと思いますが、何かに役立ってくれれば・・・そう思います。

ありがとうございました。



急変するまでの4日間、自宅で笑顔で過ごせたのは、今までがんばった母への神様からのプレゼントだったように思います。


このブログは母が逝ってから約1週間後に書いています。

実は今、あまり悲しくないんです。

人はあまりにも悲しいと、心が壊れないように心が麻痺してしまうのでしょうか。

母を思い出すと涙が溢れます。

でも普段の生活になると悲しみは心の奥深くに隠れてしまいます。

母の部屋が整理され、主のいなくなった広い部屋に足を踏み入れるたびに、心にあいた大きな穴を感じるのでしょう・・・。



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posted by m at 09:19| Comment(17) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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